モテモテ男女倍増計画

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人は走るために生まれた

こんにちは。今日はむしょうに走りたくなる本をご紹介します。
 
クリストファー・マクドゥーガル著、『BORN TO RUN 走るために生まれた』 。著者によると、私たちの祖先、ホモ・サピエンスは、走るがゆえに生存競争に勝ち抜き、走るために進化してきたのだといいます。
 

私の付箋

 
走ることは太古の祖先から遺伝子に組み込まれてきた宿命なのだ。われわれは走るために生まれた。走るからこそ生まれた。誰もが〝走る民族〟なのだ。
 
つかさ: 
現代人、電車や車に慣れてしまって、走ることをすっかり忘れてしまっています。でもその昔、走ることは特別なことではなかったのですね。思い出してみると、子供の頃っていつも自然に走っていませんでした? 子供の頃はちゃんと遺伝子に組み込まれた走る能力をちゃんと使っていたのだと思います。でも車が危ないから道路で走るなとか、歩けとか大人に言われてだんだん走らなくなってしまったのです。
 
 
愛する能力と走ることを愛する能力にはなんらかの関係がある。(中略) 仕組みが同じなのはまちがいない。どちらも自己の欲望に執着せず、欲しいものはわきに置いて、いま手にしているものに感謝することが大切だ。忍耐強く、寛大で、多くを求めずにいることにかかっている。セックスとスピード、このふたつは人類の誕生以来、共生関係にあり、DNA鎖のようにからみあってきたのではないか? 愛がなかったら、われわれは生きていない。走らなければ生存できなかった。一方が向上すれば、もう一方も上達するのは意外なことではないのかもしれない。
 
つかさ: 
この部分を読んで「やったぜ」と思いました。ここでランニングとモテ学がきれいにつながったではないですか! ランニング後、ついムラムラしてしまった経験はありませんか? いや、そういう短絡的なことではなくて、走り続けることと愛することに相関関係があるという考え方、素敵だと思います。ひたむきに走り続けられるっていいですよね。
 
 
まさに極度の疲労と苦痛を超えたところで、自分にあるとは夢にも思わなかった安らぎと力がふんだんに見つかるのかもしれない。障害を突き抜けないかぎり、強さの源が活かされることはない。

 

つかさ
私は何しろランナーというよりへっぽこジョガーなのでこんな域には達したことがないのですが、いつか達してみたいものです。まあでも極度の疲労までいかなくても、「あー、もうダメ」っと思った後、ちょっとガマンして走っていると結構走れて「あれ私、案外走れるじゃん?」と思わず自分を見直してしまったことはあります。単なる自己満足ですが。これがもうちょっとランクアップすると「安らぎと力」がみなぎる経験ができるのかもしれません。
 
 

履き古されたシューズのほうが新品よりも安全だと示唆するデータを収集している。『整形外科・スポーツ理学療法ジャーナル(Journal of Orthopaedic & Sports Physical Therapy)』誌で、ベイツ博士と同僚たちは、シューズがすり減ってクッション材が薄くなると、ランナーは足をコントロールしやすくなると報告した。

 

つかさ
これ読んで安心しました。履き古したシューズを履き続けても全然かまわないなら、お財布に優しくて助かります。だってね、古代人はクッション性の高いシューズなんて履かず、ほぼ裸足のようなサンダル的な履き物で獲物を追いかけて長距離走っていたわけで。
 
 
 
自分の気に入った部分だけメモしたので上記の付箋だけ見るとハウツー本っぽい印象を持たれるかもしれませんが、実はウルトラマラソンとその参加者、そして南アメリカの謎の走る民族、タラウマラ族のドラマが繰り広げられるストーリー展開がテンポよく楽しめるドキュメンタリー風の読みものです。
 


BORN TO RUN 走るために生まれた ウルトラランナーVS人類最強の“走る民族"

 

まとめ

 走る本能を呼び覚ましてモテモテになりましょう。